うつ病を知る、うつ病の方との関わり方

みなさん こんにちは 今回はうつの経験者に複数人ヒアリングしてきました。
その中でも印象に残る意見をピックアップして紹介します
うつ病は誰にでも起こりうる病です。
もしうつ病になっても自分を責めないであげてください

このサイトでは、うつになったキッカケ 
どのように克服したか 
そしてどのように向き合っていいのか
うつ経験者のリアルな声を集めました


Q, あなたが鬱になったきっかけを教えてください


 

職場のお局様と意見が合わず、
徐々に陰湿ないじめを受けることになりました。
その結果として、
会社に出社することが難しくなり、
たまに出世してもオフィス空間に
入ることができなくなってしまいました。

その後、精神科医から鬱病と認識されましたが、
この会社のお局様とのトラブルが、
鬱病になる直接的な原因となりました。

20歳代 男性 トンネルさん

 

仕事のストレスが原因です。
当時、私のいた部署は、
私と直属の上司の2人だけでした。
この上司は、昇進したばかりで「管理職」という仕事に
不慣れだったのか、

いつもイライラしていて、
ちょっとしたことで私に八つ当たりして来たり。
自分の仕事の失敗を、私に転嫁してきたりと、
今でいう「パワーハラスメント」を受けていました。

私は「自分が悪いのかも」と思い、
ずっと我慢をしていましたが我慢をしていくに従い、
心が不安定になっていき、突然、
涙が止まらなくなったり、
消えてしまいたくなったり、
自分を傷つけてしまいたくなったりという思いが出てくるようになり、
だんだんと酷くなっていき、
とうとう職場に行くと具合が悪くなるように
なってしまいました。
「これはおかしい」と感じ、
心療内科を受診したところ「鬱病になっている」と
診断されました。
このような経緯で「鬱」になりました。

女性 30歳代 さおりんさん

 

入り口というか兆候は大学2年の春に
失恋したことが大きかったと思います。
それまで順風満帆だった日常に影が差し、
少しずつ悩みやすくなり、
気持ち的にも塞いでしまう事が増えたように思います。
恋愛した事は何度かありましたが、
直接気持ちを伝えて断られたのは初めてだったので辛かった。
そして相手がとても仲の良い先輩で、
その後の関係が以前とは全く違うものになった事、
今まで通り兄弟のような仲の良い間柄に戻れないどころか、
他人のように遠い関係になった事はかなり堪えました。

女性 2山田さん

 

きっかけは、所属しているサークルが体育会系で、
一向に馴染めない自分に気がついてから。
学校には行っているのに、
勉強する気が起きない。
教室に入ることすら重圧と恐怖心が突然芽生えてきて、
授業時間になっても教室に入れなくなった。
入ろうとするのに恐怖心が邪魔して結局
大学の外で恐怖に震えて何もする気が起きなくなってしまった。

男性 20歳代 もな45さん

 

正社員として入った会社は、営業ノルマがきつく、
トップの成績を何度出しても
本社のマネージャーから電話口で1時間以上
「死んだほうがいい」「使えない」「居る意味ないから、辞めちまえ」など数々の暴言を吐かれ、
たまに受注をとっても「まぐれ」としか言われませんでした。
毎日毎日、暴言を吐かれても耐えるしかなく、
いつの間にか無気力で死にたいと思う状態が多くなりました。

女性 30歳代 ナガレボシ

 


Q,  鬱になって辛かったことを教えてください


 

鬱病になって、
自分は会社に勤めるという普通の人が
当たり前にできることができないのだと、
自己嫌悪に陥りました。
会社や家族など、
自分の身の回りの人に迷惑をかけてしまっている状況も、
非常に申し訳ないと感じていました。
自分がいかに人に迷惑をかけているかと思うと、
本当に胸が詰まるくらい苦しかったです。
鬱病になって苦しかったのは、
自分が他人に迷惑をかけているという自意識でした。

20歳代 男性 トンネルさん

 

鬱になって一番つらかったのは、体力も気力もすべて奪われてしまうことでした。
とても仕事を続けられる状態ではなかったので、仕事を辞めて治療をしていましたが、
一番、症状がひどかった時期は、2週間に1度の通院時以外は、心も体も辛くて
家から一歩も出ることができませんでした。2週間に1度の通院は、移動や待ち時間も含めて半日ほどの時間がかかったのですが、通院後は、3~4日はぐったりとしてベットから動けないほどでした。とにかく、心身ともに辛く苦しく、気持ちが全く外に向かないという状況が何よりもつらかったです。

女性 30歳代 さおりんさん

 

何が楽しいのかよく分からなくなりました。笑顔は楽しければ自然と生まれるけれど、無理しても笑うことができない。何か言葉を発しようとすると感情がいっぺんに絡まってパニックになり涙が出る。仲の良い友達とも誰とも会いたくないし何もする気が起きない。自分が恥ずかしくて罪深い存在のような気がして、マスクをして歩くようになった。今までは同じように笑い合えていたけれど、その時は全く別の世界に生きている気がして、疎外感で潰れそうになった。何も食べても味がしなくて、もう生きている意味が何だか分からなくて消えたいとばかり思っていた。感情が全くなくなってしまった。それでも涙だけはちゃんと流れて、嫌でも生きている事を実感させられた。

男性 20歳代 山田さん

 

何もする気が起きなくなってしまったこと。アルバイトや大学で勉強をしないといけないのに、その気力すら出てこなくなる。勉強ではなく、現実逃避と、恐怖心による登校拒否。そして、自分はこの世にいてはいけないんだという劣等感のような、悲壮感が入り混じった感情に苛まれるようになった。

自殺すら厭わない性格になってしまった。

男性 20歳代 もな45さん

 

鬱と診断されても職場には言えず誰にも打ち明けられなかったことです。抗鬱剤の副作用で朝起きると頭が痛くとてもだるいのですが仕事のノルマを考えると休むことができませんでした。人に甘えること、任せることが出来ない性格でそれが原因で鬱になっているのにそれでもやはり誰にも頼ることが出来ませんでしたからそれが一番辛かったと思います。

女性 40歳代 うらこさん

 


Q, どのように克服しましたか?


 

まず、素直に精神科に行ってカウンセリングを受けました。自分1人ではどうしようもないことは分かっていましたし、専門家に頼んだ方が鬱病の克服に繋がると思ったからです。

実際、カウンセリングを受けていくと、徐々に状態が落ち着いてきました。

また、会社の上司とも話し合いを重ねて、部署を変えてもらうことで、お局様と組む機会がなくなりました。

結果として、約1年ほどで出社できるほどに改善しました。

トンネル 男性 20歳代  

 

とにかく、お医者さんの言うことを信じ、どんなにつらい時でも、通院だけはやめませんでした。
そして、一番ひどい時期を脱した頃には、頑張って少しずつ、外に出るようにしていました。
外に出ることに慣れてきたら、自分の好きだった趣味を再開したり、少しずつ、家族以外の人と交流を持つなど
自分から、意識を「外」に向けるようにしていました。
そして「絶対に治る」と自分に言い聞かせ、信じ続けました。
そのおかげか、発症から1年半ほどで「寛解」しました。

さおりん 女性 30歳代

 

禅寺に泊まり込んで修行に行きました。今考えると突発的な行動だったと思いますが、とにかく何か違う事や新しい事をして風向きを変えたかった。自分を救いたいという一心だったので、できるかなぁとか特に不安はありませんでした。
落ちる所まで落ちていたから、失うものなど何もなかったんでしょうね。
京都の山奥で3日間修行に励み、日常を忘れました。
空が綺麗で、周りがいつもよりキラキラして見えて、大袈裟ですが生まれ変わった気がしました。
知らない人しかいませんでしたが、学生やサラリーマン、様々な境遇の人と出会い同じ空間で生活する事はとても良い刺激になったようです。

山田さん 女性 20歳代

 

最初はカウンセリングを受け、治療を行っていましたが、鬱になる前の対人恐怖症すら発症してしまい、治療が困難になってしまいました。そして、自分の気持ちと、
向き合いつつ僕の身体的、精神的負担を取り除くにはどうしたらいいかと考えた結果。一年棒に振って旅をすることにしました。今の自分から少し離れた環境に身を置いて、自分の気持ちと向き合った結果、いつの間にか鬱は消えてました。

もな45 男性 20歳代

 

時間が解決するしかなかったと思います。環境を変えることも出来ませんでしたので、頑張りすぎない、悩まない、人に任せる、適当に手を抜く…など、
とても難しいことでしたが。その日によって気分のムラもありましたので少しでも気分の良い日は
、お花を見たり熱帯魚を見たり癒されるものを求めていたと思います。抗鬱剤は副作用もあり辛かったですが、
飲むと楽になれましたし何も考えずに眠りにつけましたので、必要な薬なんだと言い聞かせて改善されるまで飲み続けました。自分で大丈夫と思えるようになるまで、2年ほどかかりましたがこれで克服しました!と言えるものは分かりません。

 

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